「感じていることを無視しないで表現していい」日本初のインティマシー・ディレクターに聞く

私たちは普段、どれだけ自分の気持ちや境界線を言葉にできているでしょうか。そして、相手の意思を尊重しながら関係性を築けているでしょうか。豊かさは、自然やモノだけでなく、人との関わりの中にも宿るもの。自分の意思を伝え、相手の意思も尊重するコミュニケーションの積み重ねが、より心地の良い関係性を育むのかもしれません。

舞台や映像作品の親密なシーンを支える「インティマシー・ディレクター」という仕事には、そんな豊かさにつながるヒントが隠されています。役者が安心して表現できる環境づくりは、人と人との対話を大切にしながら、創造性あふれる作品づくりを支えてきました。

日本初の舞台(演劇)公認インティマシー・ディレクターである伊藤樹里さんにこの仕事の魅力と、そこから見えてくるコミュニケーションの可能性についてお話を伺います。

伊藤樹里さんプロフィール

米カルフォルニア大学サンディエゴ校で演劇に出会い、帰国後演出家として活動。2018年より、米国を代表する様々な舞台芸術レジデンシープログラムに参加。​2023年8月には、ニューヨークで Intimacy Directors & Coordinators(通称IDC)のインティマシー・ディレクター実践研修を修了。現在は、日本初の舞台(演劇)公認のインティマシー・ディレクターとして活動の場を広げている。​

日本初のインティマシー・ディレクターになったきっかけ

ーまずは、インティマシー・ディレクターというお仕事について教えてください。

インティマシー(intimacy)は「親密な」「センシティブな」という意味です。キスシーンなど親密な身体的接触のあるシーンやヌードになるシーン、過去には温泉に入るシーンや出産シーンなどもディレクションに入りました。

アクションでは作品の意図に合わせて殺陣師が振り付けを考えるように、インティマシー・ディレクターも親密なシーンにて役者と演出家の間に入り、コミュニケーションを支えながら稽古のプロセスを組み立て、演出家が目指す表現をサポートします。照明や衣装、小道具など各部署とも連携しながら一つの作品作りに関わります。

映像作品で活動するのがインティマシー・コーディネーター、演劇で活動するのがインティマシー・ディレクターです。

ー舞台(演劇)公認インティマシー・ディレクターは日本初とのことですが、この活動を始めるきっかけや魅力を教えてください。

大学では法学部を専攻していたのですが、留学をきっかけに演劇を学び、演劇の世界の楽しさを知りました。

帰国後、舞台の演出をする機会を得ましたが、ある時劇中のキスシーンを稽古する際、役者さんにとって初めてのキスシーンだったこともあり、稽古場全体が少し気まずい雰囲気になってしまいました。演出家としてもどうしたらよいのか戸惑いました。しかし、親密なシーンは登場人物の人間味の伝わる重要な場面なので、カットすることもできず、「どうすれば役者も安心して演じられ、作品としても良い表現ができるのだろう」と考えるようになりました。

ちょうどその頃インティマシー・コーディネーターという存在が日本でも注目され始め、演出家として学んでみたいというのがきっかけとなり、ニューヨークで Intimacy Directors & Coordinators(通称IDC)のインティマシー・ディレクター実践研修を修了し活動を始めました。現在は、日本の演劇界でも少しずつ取り入れられるようになってきています。

今はインティマシー・ディレクターの役割や意義を発信することにもやりがいを感じています。それまで役者と演出家がお互いの意図を探りながらやってきた場面も少なくありませんでしたが、インティマシー・ディレクターが入ることで連携がスムーズになり、その結果演出の質が向上し、より表現が豊かになると感じています。

コミュニケーションが表現の可能性を広げる

―インティマシー・ディレクターという仕事を通して、コミュニケーションにおいて社会の意識の変化を感じることはありますか?

「心理的安全性」や「同意」が日常のコミュニケーションでも注目されていることもあり、センシティブなシーンの意思確認をする必要性や丁寧なコミュニケーションの重要さが理解されてきていると思います。

依頼される案件自体も増えてきていると感じますが、その一方で必要性やメリットが伝わらず「今まで問題なかったから必要ない」と言われてしまうこともあります。

そんな中でも依頼してくれるのは主に女性の監督やプロデューサーが多い印象です。作品作りの過程でハラスメントが起きないようにしたいというニーズもありますが、インティマシー・ディレクターが入ることで演出の幅が広がり、作品の表現力そのものが豊かになるというメリットは、まだ十分に伝わっていないと感じています。

―演出を手がけた劇団「趣向」の舞台『THE GAME OF POLYAMORY LIFE』では、“ポリアモリー”というテーマを扱う中で、特に難しかったことや心がけた部分はありますか?

ポリアモリーについて、俳優たちと一緒に監修を務められた深海菊絵さんからレクチャーを受けました。実際にポリアモリーを実践する方の話を聞かせてもらうなど、事前にポリアモリーにおける関係性や愛情のあり方について理解を深めることができました

今回の作品ならではの工夫としては、今回はキャストがAパターン・Bパターンの2組に分かれていて、同じ役ですが性別も体格も違うので、それぞれの役者や演出のアイデアに合わせて動きや見え方を調整しました。

『THE GAME OF POLYAMORY LIFE』のワンシーン

作中には、「ただいまのキス」のシーンがあったのですが、ただの挨拶ではなく、「恋愛感情が伝わるキス」として見せたい場面だったため、あえてキスの長さを『3秒』と具体的に決めました。そうすることで、本番でも演出の意図をぶらさず、一貫した表現につなげることができました。役者からは、共通のイメージを持って演技に臨めたという声をいただきました。

役者が安心できる環境づくり

―親密な関係性を舞台上で表現する時に、演者同士の信頼関係をどのようにつくっていったのでしょうか?コミュニケーションで大切にしていることは?

文化的背景に合わせてサポートも変わってきます。たとえばアジアと欧米では挨拶のハグやキスなど日常的なスキンシップに差があるので、配慮が必要になります。

国の文化だけでなく劇団によって、意思決定のバランスやコミュニケーションの仕方が違うので、その劇団の持つカルチャーや組織の特徴に合わせながら、よりスムーズに伝わるようにコミュニケーションを取っています。

役者一人ひとりと面談を行い、細かい部分も意思確認をするので、役者からも「安心して演技に集中できる」と言ってもらえます。演出家にとっても、役者の意思を丁寧に確認できることが演出に集中できることにもつながっていると感じます。

伊藤さんと劇団「趣向」の代表・オノマリコさん

「感じていることを無視しないで表現していい」

ー最後に、伊藤さんが考える「人と人との関係性における豊かさ」とは何でしょうか?

感じていることを表現するための言葉や技術が、もっと豊かになるといいなと思っています。

たとえば俳優が緊張や不安を抱えている時、それを言葉に出来るかどうかが大事だと思っています。空気を読んで「大丈夫です」と言わざるを得ない環境なのか「接触自体は問題ないけど、顔に触れられることに抵抗がある」と正直に感情を伝えられる環境があるのか。その違いによって出来ることも変わっていきます。

職場や学校など様々なコミュニティにおいても、人が感情を無視しないで表現して良いという価値観が広がっていくといいなと思います。インティマシー・ディレクターとしても、言葉の橋渡しをすることで創造的な役割を担っていきたいです。

この記事を書いた人

特殊ペインター・写真家・ソーシャルベンチャーの仕事を経て現在スナックママとしてソーシャルグッドな場づくりをしているお酒好き。一人一人が自分を表現して生きられる豊かな社会を作るのが夢。特に関心があるのはジェンダーと気候変動。

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