社会や人々のありのままを切り取り、映し出すドキュメンタリー。映像というかたちでこの世界の“リアル”を知ることは、地球にも人にも優しい未来を考えるきっかけになります。
本連載では、気軽に観ることのできる約10分のドキュメンタリー作品を配信する「Yahoo!ニュース ドキュメンタリー」から、今観たい1本をセレクト。毎月テーマを変えて、映像という切り口から、持続可能でエシカルな社会を考えます。
3月のテーマは「被災地のその後を知る」です。
3.11から間もなく14年。福島の今は?
2011年3月11日に発生した東日本大震災から14年が経過しようとしています。
震災後、多くの人がやむを得ず住んでいた場所を離れ、他の地へと移り住んでいきました。かねてより若者の流出が進んでいた中、震災は高齢化や過疎化に追い打ちをかけることとなってしまいます。
今月フォーカスするのは、福島で納豆を作り続ける「山乃屋」を追った『納豆の夜明け〜川俣町の納豆製造継承物語〜』。地域の食文化を守るために奮闘する一人の男性から、被災地の“いま”に触れてみましょう。
『納豆の夜明け〜川俣町の納豆製造継承物語〜』

納豆の夜明け〜川俣町の納豆製造継承物語〜(Yahoo!ニュース ドキュメンタリー)
監督:太田信吾
作品の舞台となるのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故により避難指示の対象となっていた、福島県川俣町。
川俣町の山木屋地区にある納豆製造工場の社員だった影山一也さんは、避難指示解除後に先代社長より工場を受け継ぐことになります。
承継することとなった大きな理由は、先代が高齢のため廃業を決意したことを知った地元の人々の「納豆屋をなくさないでほしい」という声に応えたいという思いからでした。

製造現場を支えていた技術者たちの復帰が難しいことや人口が激減した土地で事業を行う厳しさなど、多くの困難に直面しながらも、影山さんは小粒・中粒・大粒の3種を取り揃えるオリジナルブランドとして新たなスタートを切ります。
開業後も設備投資なども行うものの、努力は実らず売上減少や社員たちの退職が続いてしまい、影山さんは現在家族の手も借りながら製造、販売までをひとりで担う状況です。
そんな中でも、町内で地道な活動を続け成果を出している農家や花き生産者などの存在に刺激を受け、自販機販売の設置、電話営業や飛び込み営業など、販路拡大に向けて精力的に行動を起こしてきました。
ある日、卸先である福島県観光物産館に納品する影山さんの姿をカメラはとらえます。山乃屋の納豆は、一般商品の中でも一番の売り上げとなるなど人気を博しているそうです。

挑戦を続けるのは、地域の人のため
震災前は約1,200人だったと言う川俣町の人口ですが、避難解除された現在、帰還した住民は330人ほどです。
作中で映し出される、さびれた集合住宅や帰還困難区域の看板。様々な光景から、過疎化やそれに伴う文化やコミュニティの喪失がうかがい知れます。
「『買えなくなって困ってるのよ』と僕より先に帰還した方々に言われると、どうしてもその声に答えたいと思って」と事業への想いを語る影山さん。
震災から10年以上の月日が経ち、多くの人々が離れていってしまった地域での挑戦。そのような状況の中でも、残ることを選んだ人々とともに、納豆製造事業を通じて共に生きていきたいという温かくも強い信念が感じ取れるシーンです。

都内スーパーマーケットの催事に出品した納豆の売れ行きも好調で、「食べることで被災地を応援したいから」といった声が寄せられるなど、全国的に福島を応援する動きがあることは確かでしょう。
被災地の今を知り、寄り添おう
他の地域と比べても、福島県をはじめとした被災地における人口減少は深刻です。
また、川俣町でも震災後に複数の納豆事業者が撤退している現状があるように、産業の復興には高い壁が立ちはだかっていることが分かります。
被災地では、家屋の破壊などの実害に焦点が当てられがちですが、長期的には人口の流出が起き、人々が育んできた文化や産業の損失が起こっていることも忘れてはなりません。
作中でも紹介されていたように、被災地から離れた場所でも「応援消費」などを通じて現地と繋がることは可能です。
今年の3月は、影山さんや被災地復興のために奮闘する多くの人々に目を向けてみませんか。
文/kagari
※作品はこちらから視聴できます
納豆の夜明け〜川俣町の納豆製造継承物語〜(Yahoo!ニュース ドキュメンタリー)