紫式部を主人公とした、2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』。本作がきっかけで、平安時代に興味を持った方も多いのではないでしょうか。
平安時代はその名の通り、平和な時代でした。そのために独自の文化が発展し、日本らしさのベース が形成されたといえるでしょう。どんどんグローバル化していく現代にこそ、日本の文化の基盤が築かれたプロセスを知ることは、とても重要なことではないでしょうか。
本連載では、さまざまな視点から平安時代を紐解き、「豊かな文化」とは何なのかを考えていきます。
5回目となる今回は、平安時代に生まれた名作のなかからそのヒントを読み解きます。
平安時代の文学から見る豊かな生活へのヒント
平安時代に生まれた文学作品のことを、通称「平安文学」といいます。平安文学には多くの名作があり、なかには学生時代に教科書で読んだものもあるのではないでしょうか。
実は、平安時代の人々の暮らしには、現代にも通じる「持続可能な生活」のヒントがたくさん詰まっています。
特に文学作品には、その時代の特徴が表れているものが多いため、読むことで当時の暮らしや人々の豊かな美意識を感じることができます。。
平安文学の特徴を知ろう
平安文学は、それまでの時代に比べ、女性が文学において自己表現をできるようになったことが特徴的です。これは「かな文字」の発達と普及によるものです。主に男性が使っていた漢字ではなく、かな文字で書かれた作品が多く誕生したのが平安時代です。
多くの歌集が編纂(へんさん)されたことも、平安時代の文学の発展に大きく寄与したといえるでしょう。
これらの文化には、当時の時代背景が関係しています。平安時代には、諸外国との交流が少なくなったことにより、日本独自の文化が花開くこととなりました。
当時は朝廷と貴族が国の中心となっていたため、雅で優美な世界観が発展したのではと考えられています。
平安時代の文学作品5選
そんな平安時代に生まれた文学作品から、今にも通じる豊かさに触れられる文学作品を5つ紹介します。
日々の生活の豊かさがいきいきと綴られるエッセイ『枕草子』
「はるはあけぼの……」で始まる有名な随筆(エッセイ)、『枕草子(まくらのそうし)』といえば、多くの人が一度は聞いたことのあるタイトルではないでしょうか。
大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部と並び、平安時代を代表する女流作家として知られる清少納言(せいしょうなごん)。
彼女は、当時の帝である一条天皇の妃・藤原定子(ていし、さだことも)に仕え、その文学的才能をいかんなく発揮していました。それもそのはずで、彼女の父は有名な歌人であり、代々名歌人を輩出している家系の出身なのです。
そんな清少納言が書いた『枕草子』は、兼好法師の『徒然草』、鴨長明の『方丈記』と並んで、日本三大随筆として知られています。
『枕草子』には、清少納言が定子に仕えていた頃の楽しい思い出が生き生きと描かれています。
そのなかでも、有名な「春はあけぼの」の段には、日本特有の四季それぞれの魅力と美しさが綴られており、自然を愛すること、自然のなかで生きることへの豊かさを思い出させてくれます。
さらに「あてなるもの(上品なもの)」という段から抜粋してみると、
「薄色に白襲(しらがさね)の汗袗(かざみ)。雁の子。削り氷(けずりひ)のあまづらに入れて、新しき鋺(かなまり)に入りたる。」(現代語訳:薄紫の内着の上に白いかざみをかさねたもの。雁の卵。かき氷に甘いつゆをかけて新しい金の器に入れたもの)
など、身近にある小さなものから「豊かさ」を感じ取り、心の機微を描いていることがわかります。
旅が教えてくれる、地域文化の魅力『土佐日記』
『土佐日記』の作者、紀貫之(きのつらゆき)は、和歌だけでなく漢詩の教養にも優れており、著名な歌人のひとりとして知られています。のちに日本初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう。天皇や法皇などの命を受けて編纂された和歌集のこと)である『古今和歌集』の撰者の一人に選ばれました。
そんな紀貫之の書いた『土佐日記』は、任地先であった土佐から京へと旅をする道中を、女性になりきって書いたもので、紀行文のルーツともいわれています。
平安時代、ほとんどの人は一生のなかで旅をする機会に恵まれませんでした。そのため、当時の読者は想像に胸を膨らませながら『土佐日記』を楽しんだのではないでしょうか。
『土佐日記』には、地域文化の多様性や、旅の悲喜こもごもが描かれています。当時の貴族にとっては、帝のおわす「京」こそが唯一無二の存在だったようです。そのような価値観のなかで、地方での生活が詳しく綴られた『土佐日記』は、貴重な文学作品である、といえるでしょう。
社会の多様性へのまなざしが光る『堤中納言物語』
『堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)』は、日本最初の短編集だといわれています。
作中に収録されている『逢坂越えぬ権中納言』の作者・小式部のほかは、どの話も作者不明となっています。
しかし、収録された短編には多様な階層の人々の描写があり、当時の社会の多様性をうかがい知ることができるでしょう。
なかでも特筆すべきは、『虫めづる姫君』。
このお話は、成人を迎えてもお化粧もせず、眉毛などの手入れもせず、当時の女性がたしなむべき勉強も一切しないという変わり者のお姫様が主人公です。
この姫は、大の虫好きで、ふつうの人が怖がるようなおそろしい虫を採集しては、カゴのなかに入れて観察しています。
いわゆる当時の「ふつう」とは大幅に異なる価値観の持ち主である彼女が、自分の価値観を信じ、自分の好きなものを愛でているという姿からは、現在の多様性社会に生きる私たちと近しいものが感じられます。
読書や学びのもたらす人生の喜び『更級日記』
『更級日記(さらしなにっき)』は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)による日記文学です。
彼女は平安時代を生きた貴族の娘で、作中では彼女の少女時代から約40年間の人生が回想されています。
菅原孝標女の人生には、常に「物語」の存在があり、『更級日記』には、読書や学びがもたらしてくれる「人生の豊かさ」がふんだんに綴られています。
たとえば、作者の少女時代にこんなエピソードがあります。
当時、都で大流行していた、紫式部の『源氏物語』。地方に住む作者は、どうにかして『源氏物語』を読んでみたいと思っていました。しかし、当時、紙は高級品とされていましたし、製本や印刷の技術も発展していません。
都に住んでいない作者が『源氏物語』を読むのは非常に困難だったのです。
やがて、作者は念願かなって『源氏物語』を手に入れることができました。
作中では、誰にも邪魔されず、横になって『源氏物語』を思う存分に読める幸せが、「妃の位も何にかはせむ」と表現されています。これは、「お后様の位にだって何になろうか、いや、何にもならない」、すなわち「后の位とは比較にならないくらい、源氏物語はすばらしい」と読み取ることができます。
本を読むことが彼女の人生とってどれほど豊かであったかがよくわかる一場面です。
自然との調和や人の心の情緒機微が詠まれる『小倉百人一首』
藤原定家(ふじわらのさだいえ)によって編纂されたという『小倉百人一首』。編纂されたのは鎌倉時代ですが、選ばれた和歌の多くは、平安時代の歌人によって詠まれたものです。
紫式部や清少納言の歌はもちろんのこと、恋多き人生を生きた和泉式部(いずみしきぶ)や、学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)の詠んだ和歌も収録されています。
小倉百人一首に登場する和歌には、「桜」「月」「川」「雪」「夜」など、今でも日本人が深く愛する自然の美しさや、それをいつくしむ心が多く詠まれています。
「奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」(現代語訳:人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。)のように、寂しさや人恋しさのなかに美しさを見出す感性も、日本ならではの情緒の深さだといえるでしょう。
平安文学から、四季折々の自然や人の豊かな心に触れよう
自然と共生した暮らしを送り、物や時間を大切にしていたことが垣間見える平安時代の文学作品。
多様性を尊重する精神や、社会的包摂の考え方も見られ、現代の社会に繋がる豊かさに触れることができるでしょう。
平安時代の文学を改めて知ることで、日本に古くから根付く価値観や心の情緒の素晴らしさに気が付くことができるかもしれません。